#5 社名『DHワークス』に込められた思い

 ビルメン会社を立ち上げたとはいえ、最初は全くの素人。まずは他社の清掃現場を見学し、作業方法を教えてもらうところから始めました。見るものすべてが新しく、機械も何を揃えればいいのかわかりません。当初はいくつもの機械を勧められるまま、借り買いしてしまいました。

今振り返れば、必要のない機械もありました。自洗機だって、初めは全く使いませんでした。考えてみれば、そうですよね。素人が、自洗機を使って作業するような広い現場を任せてもらえるはずがありませんから。

 手作業で行うモップがけなど、基本の清掃方法を覚えることが先決。それからポリッシャーで床を洗い、バキュームして水拭きし、ワックスを塗るなど、機械を使った作業も覚えていきました。

 会社を立ち上げて34カ月頃から、JCIのつながりで現場仕事をいただけるようになりました。他の清掃会社の下請けもあれば、たまたまタイミングよく新しいビルができたり、清掃会社を替えるタイミングに当たったり…といった幸運な出会いもありました。最初のうちは、研修に行った先の清掃会社の方に来てもらい、一緒に作業する形をとりました。それでも、慣れた作業員なら12時間で終わるところを半日がかりで清掃したこともありました。

 しかし、人に来てもらえば、当然その分経費がかかります。儲けがほとんどない状態が続いたため、「何とか一人でやらなければいけない」と思うようになりました。

 “一人で”というのは、文字通りの一人です。JCIで知り合った友人と2人で立ち上げた会社でしたが、彼は現場仕事が嫌いで、何かと理由をつけては現場へ来なくなってしまいました。私は単価の安い仕事でもコツコツやっていきたいと思うタイプ。しかし彼は、率直に言えば、“簡単に大きな仕事を取りたい”タイプでした。そこに、大きな方針の食い違いがありました。この意見の衝突はついに解消できず、彼は半年ほどで会社を辞めてしまいました。

 全くの一人になって、やはり最初は不安でした。でもお陰さまで、JCIの知り合いたちからオフィス、カラオケボックス、コンビニ……といくつか現場を紹介してもらい、何とかやっていくことができました。一人ではなかなか難しいところでしたが、そのうち私の仕事を手伝ってくれる仲間が、一人できました。少し線引きをしながら、私が取ってきた仕事と彼が取ってきた仕事を、お互いに手伝うという形になったのです。新しいパートナーができて12年は2人を中心に、現場によってはアルバイトを入れながら、仕事をしていきました。

 ところで、社名の『DHワークス』については、時々「ダイエーホークス?」と聞かれることがあります。確かに由来は野球関係ですが、「指名打者」の“DH”が正解です。清掃は、“人の代わり”に行うもの。他選手の代わりに打席に立つ「指名打者」に、ある意味で似ています。最初は『パシフィック~』も考えましたが、パ・リーグにずっといたからといって、あまりにも安直過ぎるかな…と思い、今の社名にしました。人の代わりに働く──そんな壮大な夢を持って立ち上げた会社でした。

山内和宏(やまうち・かずひろ)氏略歴
 1957年9月1日、静岡県生まれ。駒澤大中退後、社会人野球のリッカーミシンを経て1981年にドラフト1位で南海(現ソフトバンク)ホークスに入団。83年には18勝で最多勝のタイトルに輝き、82年から85年まで4年連続二ケタ勝利を記録。90年のシーズン途中に交換トレードで中日へ移籍し、92年に現役を引退した。引退後は広島県福山市でビル管理会社を経営している。プロ野球12年間の通算成績は97勝111敗、防御率4・30。オールスターゲーム出場3回。