#4 「習うより慣れろ」で現場からのスタート

 私が入社したのはいわゆる“独立系”のエレベーター会社です。社員40人程度の小さな会社なので、エレベーターの保守点検に関する勉強は、いきなり現場から始まりました。年下の“先輩”と一緒に現場を回り、作業を説明してもらいながら、見よう見まねで覚えていくわけです。

 インターネットなどで調べると、エレベーターの構造のイラストが見つかると思います。私の場合、ああいったものを見て理屈から覚えるのではなく、様々なエレベーターを実際に見て、触った経験を通して仕事を覚えていきました。だから正直、今でも名前を正確に言えないパーツもあります。余計なところを触って、壊したこともありました。だけど、最初はわからなくて当たり前。保守点検の作業はもちろん、対お客様という点でも、とにかく場慣れしていくしかありませんでした。

 2年、3年とやっていくうちに仕事を覚え、徐々に慣れてきたところで、先輩たちの物件を分けてもらい、一人で現場を回るようになりました。もっとも最初は、時間帯をあまり気にしなくてもいい、比較的楽な現場から始めさせてもらいましたが。

 それでも初めのうちは、エレベーターが故障した時の対応にはビビりっぱなしでした。早く直さなければいけないのに、技術もなければ知識もない。どうしよう……と。

ひと言で故障といっても、故障の種類は数限りなくあります。電気系統が原因か、機械が原因か。私は高校時代も電気科や工業科で勉強したわけではありませんから、そのあたりは全くのド素人。扉に何かをぶつけた、という程度の機械的な故障なら、多少場数を踏めばなんとかなりますが、問題はウンともスンとも言わない場合です。ベテランだったら10分、15分でパッパッと故障箇所が分かるところを、私は電気図を見て「何が悪いんだろう」と考えながら、一つ一つ可能性をつぶしていきました。先輩たちや専門の方に聞いてでも自分で直すことができれば、自信につながります。その繰り返しで、少しずつ……少しは成長できたと思います。

 「当たって砕けろ」という言葉がまさにピッタリだった私の転職。家族を養っていかなければならないし、年齢も年齢ですから、もうこれ以上仕事を変えるわけにもいきません。エレベーター業界は、比較的景気に左右されないという話も聞いていました。しかし、この会社でこうして仕事を続けてこられた一番の理由は、働く環境がよかったからです。あまりガツガツせず小ぢんまり、堅実に仕事をしていく社風。だから、私も自分の担当のお客様に対し、商売、商売と突っ走るのではなく、イーブンの関係というか、人間対人間の付き合いを優先させてもらえました。

 例えば、「(エレベーターの)この部品が10年経っているから交換しましょう」という時。1000円未満の部品で、会社に在庫があるような場合は、「故障の原因になるから、これだけサービスで換えておきますよ」というケアをしておけば、あとで大きな改修工事の話につながるかもしれません。お客様との付き合い方やコミュニケーションを大切にしつつ、そんな営業的な考え方も、今ではできるようになりました。

高橋智(たかはし・さとし)氏略歴
1967年1月26日、神奈川県生まれ。向上高から1985年にドラフト4位で阪急(現オリックス)ブレーブスに投手として入団。その後外野手に転向し、92年5月27日の日本ハム戦では3打席連続本塁打で6打点、同6月4日の近鉄戦では当時のプロ野球タイ記録となる8試合連続長打を達成。同年は打率・297、29本塁打でベストナインに輝く。99年にヤクルトへ移籍し、01年に現役を引退。現在は愛知県名古屋市でエレベーター整備士として勤務している。プロ野球15年間の通算成績は打率・265、124本塁打、408打点。オールスターゲーム出場2回。