コロナ禍は女性の働き方改革に弾みをつけた

河野 かおり氏(㈱TOSHO代表取締役社長)

コロナ禍は様々な産業に今も大きな影を落としているが、ビルメンテナンス業界も少なからず影響を受けている。各地の展示会は軒並み中止となり、資機材のメーカーは営業活動の縮小を余儀なくされた。果たしてコロナ禍はこの業界に何をもたらし、どのような変化を与えたのか? 資機材メーカーでも数少ない女性のトップとして会社を経営する河野かおり氏(㈱TОSHО代表取締役社長)に、コロナがもたらした変化について話を聞いた。

父の輸出中心から輸入への業務転換

 ──御社はホームページを拝見すると創業は1966年。今年でちょうど55年ですね。

河野 漢字で書く東昇は、元々は父(河野祖文(もと ふみ)氏)の会社なんです。私は学校を卒業してアメリカに1年ほど行った後、父のこの会社に入りました。この会社は貿易で100%輸出をやっていて、全然ケミカルとは関係ありません。父は機械の部品とかベアリングを取り扱っていて、そこで私は貿易実務をずっとやっていました。営業とかはしたことがなく、事務仕事しかしたことがありませんでした。

──それが何故、現在のような業務用洗剤を扱う会社になったのでしょうか。

河野 その後、人材派遣として三井物産で3年間、営業アシスタントとして三つの部署で商社の仕事を経験しました。ちょうどバブルの前で仕事は物凄く忙しかったですね。そして父の会社にまた戻って、貿易実務の仕事をしていました。私にはアメリカに兄がいるのですが、その兄からアメリカには良いケミカル会社があると聞いたことが、業務用洗剤の業界に入るきっかけになりました。

──アメリカに行き、総合商社でも働いてと当時の女性としては異色のキャリアですね。

河野 実は私、日本人じゃないんですよ。父も母も台湾の人なんです。台湾の華僑なんで海外と縁があるんです。華僑の人って海外に行くのが当たり前なんです。さっき申し上げたアメリカに1年間というのは短大を卒業してからでロサンゼルスに行きました。

──自社と三井物産で働いてみて何か違いは感じましたか。

河野 組織が大きいと一部分しか分からない。仕事の全体像が見えないという部分は凄く感じました。自分の会社だと全部自分でやらなくてはいけないけれど、大きいところだと全体が見えないんですよ。自分のやる仕事しか分からないという部分はありましたが、凄く良い勉強にはなりました。

──自社に戻られて、何から始めましたか。

河野 それまでウチの会社は輸出一本だったので、少しずつ輸入を始めました。その後、2000年くらいから本格的に業務用洗剤を入れ始めました。

──輸出と輸入は正反対なので大変だったのではありませんか。

河野 国内販売というものに興味があったんです。三井物産でも少し輸入の仕事をしたのですが、父のような生活に直結していないものの輸出よりも、もう少し馴染みのあるものを輸入して国内販売をしてみたかったんです。でも最初からケミカルと考えていたわけではありません。

──それが結果的に業務用洗剤を扱うようになった理由は何ですか。

河野 あの頃、アメリカのケミカル洗剤を日本で紹介すると、日本のものとは違うという印象を持たれていて、商売や営業がしやすかったという部分はあります。あとはやはり、アメリカに兄がいたというのが大きかったですね。兄がいなければアメリカから輸入しようとは思わなかったでしょうね。でも当時は、輸入はしたものの、決まったお客さんにしか売っていなかったんです。いわゆる直販で、問屋卸しは一切していませんでした。私の中ではコンテナで輸入したものをどこかに卸すというのが当たり前の仕事になっていたので、問屋さんに卸して問屋さんがその先に売るという流れに馴染みがなかったんです。でも、自分一人の営業では限界がありました。

──それでどうされたのですか。

河野 悩みを親しくさせてもらっていたビルメン会社さんに相談したら、やっぱり問屋卸しをしたらって言われました。だったら別会社を作ってはどうかという話になり、そうしてできたのが、私が社長となりビルメン会社さん2社と2006年に立ち上げた「コスケム」という会社です。それが後に「TОSHО」と社名変更したため、父の作った東昇とは別会社になっています。コスケムの方は今、ブランド名として残っています。

──問屋卸しを始めて変化はありましたか。

河野 最初は決まったお客さん向けに1年に1回コンテナで買ってコンテナで卸していたのですが、問屋卸しを始めるようになって、自分で在庫をして販売するようになりました。主に扱うようになったのはカリフォルニア州ロングビーチにあるフローケム社の業務用洗剤でした。

──フローケム社の製品の特長は何ですか。

河野 アメリカにはカーペットの文化があるので、とにかく凄く種類が多いんですよ。ワックスも当時日本のものは黄変するものが多かったのですが、アメリカのものは黄変することがなかった。そのへんも含めて日本とはちょっと違うなと思いました。洗剤の造り手にもいろんなリクエストを出せて、化学的な知識も色々と教えてもらいました。

──在庫をして販売するようになって手応えはどうでしたか。

河野 最初の頃は反応が鈍かったのですが、セラミックタイルのメンテナンスシステムの紹介をしたら大阪の阪和(本社:大阪府堺市)さんが興味を持ってくれたんです。全国を回らせていただいて、このセラミックタイルのメンテナンスシステムについてセミナーをたくさんやりました。それが会社の名前を覚えてもらう良いきっかけになったと思います。あれがなかったら、短期間のうちに名前を知っていただくことはできなかったんじゃないかと思っています。

 

時間的拘束の解消が女性活躍のカギ

──業務用の洗剤を扱っているメーカーの中でも、女性の経営者は珍しいですね。

河野 直接は言われたことはありませんが、短期間でここまでこれたのは女性だからだよという声は聞きます。ただ私としては、男性女性とあまり意識したことはありません。でも私は女性なので男性的なお付き合いはできません。たとえば、この業界の方たちは皆でお酒を飲むのが好きじゃないですか。懇親会が終わった後も飲み会とかたくさんありますよね。でも私はそういうのが好きじゃないのと慣れていないので、そういう仕事の仕方はしたくないという考えです。飲むことによって親交を深めるということは女性にはなかなかできないので男性が羨ましいなとは思います。でも女性の私が、それをやってしまうと何を言われるか分からないという、ある種の警戒心があります。だから敢えて行かないという部分はありますね。それは女性の部下に対しても同じで、本人の意志を必ず確認しています。

──酒席の他にも、この業界で多いのは親睦ゴルフですね。

河野 ゴルフコンペは良いと思います。私はゴルフが下手なので、いつも誘われると行きたくないと思うんです。でも、自分で自分の背中を押しています。それで行くと帰る頃には、いつも毎回「ああ、行って良かった」となるんです。一緒にコースを回れば問屋さんやメーカーさんと仲良くなれますから。ただ女性は私の他にほぼ誰もいない状態なので、もっといてほしいなとは思います。

──洗剤というと一般的には男性より女性の方が馴染みがあると思われますが、メーカーにせよ卸しにせよ、女性が少ないのは不思議ですね。

河野 やっぱりきれいな仕事ではないからじゃないですか。汚いところをきれいにするわけで、最初に行くと汚いわけです。女性は家の掃除ならともかく、施設の中は相当汚いところもありますから、そんな仕事はしたくないと思うんじゃないでしょうか。私自身はあまり抵抗なかったですけど。ただ誰かが営業で入ってきた時、男性を教育するのと女性を教育するのとでは女性の方がずっと楽です。女性の方がベースとなるものがありますから。

──御社の社内の男女の比率はどうですか。

河野 ウチは82くらいで女性が多いです。やはり男性よりも女性の方が分かり合いやすい。埼玉の川口に倉庫があるのですが、そこの出荷も女性がやっています。女性は男性と視点が違い、感性も違います。女性の社長でなくてはできないような商品作りというのもあると思います。

──たとえば?

河野 去年、コロナでずっと社内にいて商品のパッケージを変えたいと思っていて、ある商品のデザインにお花を入れたんです。こんな商品が棚にあったら楽しいだろうなと想像して変えたんですが、多分男性だったらこういう発想にはならなかったと思います。やっぱりこの業界は、デザインでも名前の付け方でも硬い感じがするんです。そこは男性と女性で、違いがあるような気がします。

──他に女性ならではの発想は何かありますか。

河野 女性でも運びやすいように軽い製品を作りたいんですよ。ビルメンで働いている人は高齢の方や女性が多いですから。そういう意味で全部が全部ではありませんが、ストレートで使うものよりは希釈して使う濃縮製品ですね。希釈する製品は薄めるというひと手間がかかりますが、製品をコンパクトにすることができる。もちろん水で薄めても汚れ落ちは同じというのが大前提ですが…。女性にとっては一斗缶のような重いものより濃縮された軽いものの方が出荷するにも楽ですから。そして究極的には錠剤とかタブレットタイプの製品を作りたいんですよ。これまで色々と試してはみたのですが、今のところはうまくいっていません。

──濃縮タイプの洗剤は使い方が難しいとも聞きます。

河野 ストレートでそのまま使えるタイプと比べるとそうですが、最近は洗濯用洗剤でも濃縮タイプが増えてきているじゃないですか。だから問屋さんに濃縮タイプを出したいと相談した時、最初は良い反応ではなかったのですが、最近はそうした声も小さくなってきました。業界的に濃縮タイプの製品は少ないので逆にチャンスかなとも感じています。

──この業界に女性を増やすにはどうしたら良いとお考えですか。

河野 女性の営業を雇用したとかという話もよく聞きますけど、結局は続かないんですよ。特に問屋さんの場合は重たいものも配達しなければならないので、女性は大変だと思います。それとこの業界の仕事には時間の拘束というものがあります。朝早くから夜遅くまで仕事というイメージがあり、夜遅くに現場に呼ばれてちょっと見てほしいと言われることもある。そういうところをケアしないと女性が働きやすい業界にはならないと思います。とにかく働く時間が長過ぎます。時間的拘束の解消が、この業界で女性が長く働けるようになる最大のカギだと感じています。

──ビルメンも含めて普通の時間帯には働きにくい職種であることは確かですね。

河野 問屋さんも営業しているところが多いので昼間行っても誰もいないんですよ。だから朝早く行くか、営業から帰ってきた後の夕方に行くしかない。昼間は営業がしにくいのが現実です。女性にとってもう一つのネックは運転です。免許は持っていてもほとんど運転していない女性が多く、県をまたぐ長距離の運転も多いため、帰りが遅くなっても必ず無事に帰ってきたことを確認しています。

──お話を伺うと、なかなか働き方の改革は難しそうですね。

河野 私は自社の営業に「時間を無駄に使うことはない」と言っています。少し前までは会社に来てから営業に出て、終わったら会社に戻るというのが一般的でしたが、今はそんな必要はありません。会社に遠隔でも仕事ができる体制ができていれば仕事が終わった後でも帰社する必要はなく、どこにいても仕事はできます。今回のコロナ禍によって、それが一段と進んだと思います。時間を有効に使えば体の疲れ方も違いますし、女性にとっては働きやすい環境になったかな…と。さっき言った時間的な拘束の問題は世の中の状況が変わってきているので、働き方を変えていけると思います。

──そういう意味ではコロナ禍もプラスになった面はありますね。

河野 働き方改革に一つ弾みをつけたところはあると思います。これまでもズームなどのツールはあったわけですが、今回のコロナで皆が改めて実際に経験したことによって身をもって分かったような気がします。私はこの業界が女性を受け入れていないわけではないと思っています。だから女性の方も、「自分は女性だから」とジェンダー的な立場に甘えないでほしい。仕事を続ける上では「覚悟」というものも必要かなと思います。

【河野かおり氏略歴】
1960年11月27日、台湾・台北市生まれ。1965年に家族で東京へ移住。川村短期大学(現・川村学園女子大学)英文科卒業。1982年、㈱東昇に入社。同社は1993年から洗浄業界に参入し、ケミカル製品の製造分野で先進国のアメリカから業務用洗剤を輸入、国内での販売を本格的に開始した。2006年、ビルメンテナンス会社2社と㈱東昇の3社で㈱コスケムを設立して社長に就任。2015年に同社の社名を㈱TOSHOに変更。2016年には㈱東昇の社長にも就任した。「高い洗浄効果」「環境への配慮」「衛生管理」「低価格」の4つを経営の柱に掲げ、地球環境に配慮した次世代洗剤、病院レベルの衛生管理ができる除菌洗剤を中心にユーザーのニーズに合った製品開発に取り組んでいる。