女性活躍のために男性は理解ではなく、共に行動してもらいたい


世の中では今、様々な方面でジェンダーの平等が叫ばれている。しかしビルメンテナンス業界に目を向けると、その動きは非常に鈍い。そうした世間と斯界のギャップの原因は一体どこにあるのか? 今から16年前、専業主婦から祖父が始めた歴史あるビルメン会社のトップに就任した川妻利絵氏(ひろしま管財㈱代表取締役社長)に、そのその深層を聞いた。

父からの教えと祖父が遺した膨大な社内報

──御社は去る8月に創立60周年を迎えられました。
川妻 弊社は総合ビル管理業として清掃、設備、警備、そして最近では寮の管理なども行っています。創業したのは昭和36(1961)年88日ですが、元々は昭和29(1954)年に私の祖父(故・川妻卓二氏=写真下)が広島物産という会社を創っていて、その中でリンレイの代理店をしていたようです。で、その後ビルメンの清掃の仕事を受けていたみたいです。そこから昭和36年に広島管財株式会社を設立したというわけです。

──祖父が始められた会社で川妻さんが社長になられた経緯を教えてください。
川妻 祖父・川妻卓二、父・川妻二郎に続いて私の元夫が三代目の社長をしていましたが、彼は学者肌の人でこの業界の経営者には向いていなかったので、5年で辞めたいと言ったのがきっかけです。私は働いたことが殆どなく、元々ずっと専業主婦をしてきましたが、この会社の跡を継ぐ者がいないということで父の方から私に白羽の矢を立てられました。

──突然、社長就任を打診された時の心境はいかがでしたか。
川妻 正直、戸惑いはありましたけど、祖父は元々身体障害者で片脚一本しかなかったんです。その人が自分でこの会社を起業して、ずっとやってきた姿を長女の私は子どもの頃からずっと見てきました。なので、その会社を守りたいという気持ちが強かったです。会社を失くすわけにはいかないという気持ちの方が強く、何としてでも引き継ぎたいという思いの方が強かったですね。

──今回の60周年を機に「広島管財」から「ひろしま管財」に社名を変更されました。
川妻 ずっと広島で仕事をしてきていますので地名を社名に使うのは大事なことですが、名前が非常に硬く感じられました。それとどちらかと言えば、この業界は男性社会というイメージが非常に強い。そんな中で、私なりに模索しながら女性らしさとか柔らかさを出したいなとずっと思い続けてきましたが、あえて横文字とか何の会社か分からないような社名には変えたくなかった。ただ何か柔らかくできないかなと思った時に、広島という文字を漢字から平仮名にするだけで随分イメージが違うなと感じたんです。元々の広島管財も初めの頃は古い「廣」の字を使っていました。そこから簡単な「広」に変わったので、それならもっと簡単な平仮名にしたらどうかなって思ったんです。創業者の祖父や父、先人たちが長年積み上げてきたことには大きな敬意を表したいと思っていたので、そういうものが感じられない名前にはしたくなかったです。

──広島は平仮名に変更しましたが、「管財」は変えませんでした。
川妻 管財は「財産を管理する」という意味ですから、これを変えてしまうと会社としての意味がなくなってしまいます。管財という言葉は東急管財(現・東急ファシリティサービス)が使い始め、祖父が東急管財に「管財」を社名に使わせてほしいと直談判したと父からは聞いています。当時まだ珍しかった「管財」という言葉を社名にしたのは祖父の先見の明だったかもしれないですね。

──会社のロゴマークも一新し、カンパニュラの花にしました。

川妻 カンパニュラの花言葉には「感謝」とか「不変」の意味があるそうです。二輪の花が寄り添っているのは、お客様と共に会社の思いと社員の想いが同じ方向を向いていたいとか、またこのロゴの一筆書きでご縁が続きますように…という思いが込められています。

──四代目社長に就任されたのは平成17(2005)年とのことですが、父の二郎氏からは何かアドバイスはありましたか。

川妻 社長になってから半年から1年くらいは帝王学みたいなものを教えてもらいました。父からはよく「井戸を掘った人を大事にしろ」と言われました。これは何かきっかけを作ってくれた人を大切にしなさいという意味ですが、取引を始めた理由や背景を事細かに教えてもらいました。

──それは事業を継承する上で非常に大切なことですね。

川妻 あとは元々祖父が書き溜めていた社員向けの社内報があったのですが、それを全部読みました。どんな思いで会社を興してきたのかとか、どんな思いで社員と向き合ってきたのかとかが書かれていました。祖父は敗血症で命を落とすかもしれないということで脚を切断しているんです。ですから社内報は必ず3年先まで書き溜めておくようにしていたんです。それは何故かというと、万が一、経営者が倒れた時に社員が路頭に迷わないようにするためにという思いで書いていたそうです。そのくらい先まで見て社員のことを気にかけていた経営者だったんだなということを祖父が書いた社内報を読んで初めて知りました。だから社員やお客様たちを凄く大事にしていました。

──その社内報は膨大な量だったんじゃありませんか。

川妻 実は私、社長になる決心をする前にそれ(社内報)を持って1週間旅に出たんです。子どものこととか全部主人に任せて「1週間旅をさせてくれ」と。本当に社長を受けるかどうか考えたいからと言って、社内報を一式車に積み込んで旅に出て、旅先で全部読んだのです。それを読んで、ここまで祖父が大事にしたものを潰してしまうとか人手に渡してしまうわけにはいかないなと思ったから、私が(社長を)やると覚悟を決めたわけです。

この仕事に必要な承認欲求と自己肯定

 ──そうやって考えた末に社長に就任された時、社員の反応はどうだったですか。

川妻 最初の頃は物珍しさもあってか、何の抵抗もなかったんです。実際はあったのかもしれないですけど、私には見せなかった。多分不安だったと思いますよ、ご家族なんかも。それと今思えば、自分たちのやりたいようにできるなという思いも社員にはあったと思います。だって当時の私は何も知らなかったのですから。決算書も読めないし、稟議書という言葉すら知らなかったくらいですから。経営のノウハウどころか仕事をする上でのノウハウを全く知りませんでした。そんなわけで私がみんなに頼ったので、私は神輿に乗せられただけみたいな感じでした。

──では、社内では反発とかはなかったと…。

川妻 最初の年は会社の状況が思わしくなく、赤字で賞与を出せない状態でした。それを伝えるべく現場を回った時に、ある社員からは包丁を突き付けられました。それで社員には相当沸々とした怒りがあるんだなと分かりました。もし会社の数字的な状況を分かっていたら、社長を受けていなかったかもしれません。私は(祖父への)思いだけで受けましたから。社長になって初めて、数字が思わしくなく、現場もコミュニケーションが悪く、ゴタゴタしたトラブルだらけで問題が山積していると分かりました。当時の社内の空気は、本当に悪かったですね。

──社員からいきなり包丁を出されて怖くなかったですか。

川妻 正直、その時はそんなに怖いとは感じなかったんです。でも家に帰って子ども達の顔を見て「あぁ、生きていて良かった」と思いました。でも、その時は恐怖よりも真剣にその人と向き合っていました。それくらい、この人も(賞与を出せないことで)傷ついているんだなと感じましたね。その人は翌日、本社にやって来て現場目線での様々な提案や改革案を語ってくれました。

──そうやって現場を回ってみて反応はどうだったですか。

川妻 当時、現場をよく回りましたが、私は物凄く歓迎されました。昼時によく回っていたので、いくつかの現場では私用のマイカップを社員が用意しておいてくれていました。

──社長になってから会社の状況が少しずつ分かってきたと思いますが、どのあたりに問題点を感じましたか。

川妻 これはウチの会社に限った話ではないと思いますが、この業界は本当にドンブリ勘定というかザル勘定なのが問題でした。でもそれより大きかったのがコミュニケーションの問題でした。どちらかというと職人気質みたいなところが多いじゃないですか、この業界は。ウチの会社の中でも、例えば警備と清掃と経理といった部署の間には万里の長城とかベルリンの壁みたいな大きな壁ができていたのです。専門意識や縦割り意識が強くて、お互いに協力し合わない土壌がありました。これを取り払うのには、結構時間がかかりましたね。

──コミュニケーションを良くするために、具体的にはどのようなことをされたのですか。

川妻 事務所の部署をワンフロアに入れ込むとか、机の配置を色々と変えてみたりとか、とにかく会話ができるような隔てのない組織に変えていくように努めました。私も社長に就任してから、毎月社員全員にメッセージカードを書いています。それを給料明細書に付けて渡しています。本当に些細なことですけど、私から皆さんに書いて感謝の気持ちを表しています。

──御社は現在、管理職の半数以上が女性だそうですが、男社会の業界にあって反対とかはありませんでしたか。

川妻 女の人を入れたら朝の早い業務とか、夜中は行かせられないじゃないかというような声は結構ありました。でも、そう思っている上司がいる間は、どんなに良い子を入れても続かなかったんです。だから私は管理職に女性を登用したのです。女性の方がよく気が付くし、コミュニケーションも取れる。お客様や現場作業員とコミュニケーションが取れれば、ビルメンのことを知らなくても仕事はできるんです。たまたま違う業種から採用した女性を管理職にしたら、周りを見て気付く能力が高く、向上心もあったのでうまくいきました。それからですね、女性の社員が増えていったのは。

──女性を採用するメリットは何ですか。

川妻 女性の方が器用なんですよ。特に子育ての経験をしたような女性は、子育てをしながら片方で冷蔵庫の中を見て夕飯の献立を考えられる。要するに、二つ三つのことを同時にできるんですよ。私もずっと専業主婦だったから、そのへんのことはよく分かるんです。

──経営のスローガンには「ありがとうがいっぱい」を掲げていますね。

川妻 元々創業者の祖父の経営理念もそこに通じると思っています。感謝をするというのは人に対してとか仲間に対してとか色々ありますが、自分自身にも感謝をすることが凄く大事だと思っています。私はずっと専業主婦をやってきましたが、自己犠牲みたいなことを続けていると、人間は心がすさんでボロ雑巾のようになっちゃうんです。そうならないために、自分で自分に〝ありがとう〟と言う。つまり、自分で自分のことを承認することをしないといけないと、子育てをしている時に感じたのです。

──いわゆる承認欲求とか、自己肯定というものですね。

川妻 周りの人から認めてもらっていても自分で認めていないと、いつまでたっても枯れている状態なのです。私たちの仕事は皆に認めてもらいにくい仕事です。でも自分たちの仕事に対して誇りを持つためには、自分で自分のことを褒めてあげることが必要ではないかと思うのです。そのような理念教育を社内ではずっと続けています。

──ビルメンや警備の他にもLaPica(ラピカ)という名称でハウスクリーニングを中心にした事業(写真右下)を展開されていますね。

川妻 ハウスクリーニングは数十年前から、広島カープの監督や選手のご自宅や地元の財界人のご自宅を中心にやっていたんです。でもハウスクリーニングって名前が長いじゃないですか。そこで名称を公募して、たくさんの中からこの名前を選びました。Laはフランス語で「女性」を表す形容詞、Picaは「ピカピカにする」のピカです。ハウスクリーニングは男性が行くより女性が行った方が喜ばれますし、業務も朝早くからする仕事ではないので女性向きの仕事だと思います。殆どが9時や10時からですから、お子さんが学校に行っている間に女性ができる仕事なんですよ。

後押しする理解者が少ないビルメン業界

 ──この業界は高齢者や外国人の労働者が多く、ダイバーシティ(多様性)が進んでいると言われますが、女性の活躍度という面ではどのようにお感じですか。

川妻 現場の作業員は女性が多いのですが、管理職になると男性が多く女性は少なくなる。よく男性の方は、自分たちは男性だとか女性だとかは思っていないと言いますが、でも何か数字的なものを設定してやっていかないと、なかなか女性の意見を吸い上げるというところまではいかないと思っています。平等だよ、平等だよと口では言ってはいても、女性が実際に何かをするところまではいかない。何かしら女性を引き上げるような仕組みが必要だと考えています。

──言うだけではなく、実際に女性がそれをできるような環境作りをすることが重要だと…。

川妻 現に今だって、全国(ビルメンテナンス)協会でも女性の意見を聞くような委員会を創ろうかという動きはないと思います。初めは意識的に女性を引き出していく仕組みを作って、それが定着して初めて、男性とか女性とかを意識しなくなったと言えるようになると私は思っています。私はある経済団体に入っているのですが、750人くらい会員がいた中で私は女性第1号で入ったのです。でもその団体はこれから先、女性を伸ばしてダイバーシティを広げていくために、中心となる女性の委員長を創ろうと男性の会員が動いてくれました。ことを動かすためには、人によっては特別扱いとか依怙贔屓(え こ ひい き)と感じるかもしれませんが、最初はこうしたお膳立てが必要だと思います。私は今、その委員長を78年やらせてもらっていますけど、私一人だった女性会員が4050人くらいになりました。私の経験では、女性の活躍ができている会社は男性も凄く活躍していると思います。

──確かに新しいことを始めるには周りに理解者が必要ですね。

川妻 男の人は頭では理解していると思うのですが、心が伴わない。女性を社会進出させたかったら、男性も一緒に何か行動を共にしていただきたい。一緒に、そうなるように協力してほしいと思います。理解だけされていたのでは駄目なんです。社内でも数年前までは、スカートの後ろを踏まれている感じがありました。何かをやろうと思っても、後ろを踏まれていて前に出られなかった。でも今は、それができるようになってきたという実感があります。そういう意味でビルメンテナンス協会は、凄く遅れていると思います。女性にもっと門戸が開かれていれば、娘しかいない経営者も跡を継がせてみるか…と考えるかもしれません。

──ビルメン業界で女性の進出が遅れている原因は何だと思いますか。

川妻 やっぱり後押ししてくれる理解者が少ないことですね。やりたいなら勝手にやりなよ、みたいな感じを受けます。でも、逆を想像してみてください。女性しかいない中に男性がポツンと一人入ってきて何かをやろうとしたら、物凄く勇気が要るはずです。周りの女性に無視されたら何もできないでしょうし、逆にサポートを受けたら胸を撫で下ろすでしょう? それと一緒です。やりなよと言われても、理解者がいなかったら誰がやりたいと思います? やりたいならやりなよと言うのではなく、本当に男性もそう思っているのなら、一緒にやろうよという言葉が欲しいですね。ビルメン業界は、それをやろうよという声すら今はないという感じがします。

──ビルメン業界の男性幹部にとっては、耳の痛い指摘です。

川妻 ビルメンは女性がたくさん働いている業界なのに生理休暇が話題になったことがありますか? 今、世の中では産休とか生理休暇とか色々とハラスメントの問題があるじゃないですか。でもこの業界はそういうことが話題になっているところを見たり聞いたりしたことがない。そういう部分にもう少し目を向ければ、若い人だってこの業界で働くかもしれません。技能実習生だって現状は殆どが女性じゃないですか。言葉は分からない、習慣も分からないという状況では女性のフォローが必要です。時代はドンドン変わっているのでビルメン業界も変わっていかなければいけないと思います。私もいずれ次の世代にバトンを渡さなければいけませんが、少しでも変化させて次の世代に渡していきたいと思います。

令和3年10月11日号掲載

【川妻利絵氏略歴】
1961年8月6日、広島県生まれ。聖母女学院短期大学卒業後、議員秘書を経て、結婚、出産。専業主婦から2005年に広島管財㈱代表取締役社長に就任。270人の社員を束ねる経営者として日々奮闘し、2019年には「はばたく中小企業・小規模事業者300社」に選ばれ、経済産業大臣より表彰を受ける。2020年には、建築物環境衛生功労者として広島県知事表彰を受け、(一社)広島県警備業協会からも警備業功労者として表彰される。会社創立60周年の今年は社名を「広島管財」から「ひろしま管財」に変更し、現在に至る。同社社長以外にも広島物産㈱代表取締役社長、広島経済同友会常任理事、同ダイバーシティ委員会委員長、(公社)広島ビルメンテナンス協会理事、(一社)広島県警備業協会理事、広島市男女共同参画推進連携会議委員、広島西ロータリークラブ会員も務める。