#1 誰も知らない場所で“第二の人生”をスタート

 はじめまして。コラム連載のスタートにあたり、まずは私の自己紹介をさせていただきたいと思います。

 私は1981年、南海(現・福岡ソフトバンク)ホークスに入団。92年に中日ドラゴンズで現役を引退するまで12年間、プロ野球の世界に身を置いていました。

 中でも最も印象に残るシーズンは、プロ3年目の83年。初めてオールスターに選ばれ、18勝を挙げてパ・リーグの最多勝投手になることもできました。プロ野球人生の中で、最も充実した1年でした。

 社会人野球(リッカーミシン)時代は、ただ力任せに投げていた感じだったのが、プロで1年、2年と経験を積んでいくうちに、自分がこの世界でやっていくには何が必要かがわかってきたのです。それは、コントロール。2年目(82年)の4月、日本ハム戦でプロ初完封、その年4完封を含む11勝を挙げたことが大きな自信となりました。その自信が、83年の好結果につながったと思います。

 一方で、中日に移籍してからの約2年半はギックリ腰に悩まされ、ほとんど野球をした思いい出がありません。だから、最初の9年半で92勝して、残りの2年半で5勝しかできていない。

 92年に現役引退をした時は、やはり心残りでした。通算100勝まであと3勝、1000奪三振まであと44個、2000イニング投球回まであと276回2/3と、すべての成績が区切りをつけることができず、中途半端に終わってしまいましたから。

 さて、次にどんな仕事をしようか。私は静岡県浜松市出身ですが、地元に戻ったところで、何のあてもありません。それなら誰も知らないところへ行ってみようと思いました。

 そこで、家内の実家のある広島県福山市に移り住み、スナックを始めたのです。毎晩のように店に顔を出し、お客さんと一緒にお酒を飲む仕事。私はもともと“健康オタク”でしたし、元プロ野球選手の同業者たちがそんな夜の生活の影響で病気になったという話を聞くにつけ、「40歳までには他の仕事に就きたい」と思うようになりました。

 その間、福山青年会議所(JCI)に入会。新しい友人も大勢できました。その中の一人から床維持剤のセミナーに誘われ、付いていったことが、ビルメン業に従事するきっかけとなったのです。そのあたりの詳しいいきさつについては、次回に述べたいと思います。

 

山内和宏(やまうち・かずひろ)氏略歴
 1957年9月1日、静岡県生まれ。駒澤大中退後、社会人野球のリッカーミシンを経て1981年にドラフト1位で南海(現ソフトバンク)ホークスに入団。83年には18勝で最多勝のタイトルに輝き、82年から85年まで4年連続二ケタ勝利を記録。90年のシーズン途中に交換トレードで中日へ移籍し、92年に現役を引退した。引退後は広島県福山市でビル管理会社を経営している。プロ野球12年間の通算成績は97勝111敗、防御率4・30。オールスターゲーム出場3回。