令和3年3/8号【No.1919】東日本大震災10年特集号 主なトピックス

●東日本大震災10年  風化せぬ「記憶」と「教訓」
あの日から間もなく丸10年が経過する。2011年3月11日午後2時46分、宮城県太平洋岸沖約130㎞の地点を震源とする観測史上最大のマグニチュード9・0の地震は、最大震度7の揺れと最大遡上高40・1mの巨大津波を伴い、東北地方沿岸部を中心に甚大な被害をもたらした。未曾有の大混乱が続く中、衛生面で社会生活を支えるビルメンテナンスやペストコントロールの関係者は、当時どのように動き、その後の復興に向けて活動を展開したのか? 発災時の生々しい「記憶」を振り返りながら、震災後10年間で得た「教訓」を当事者たちに聞いた。

東日本大震災を辿って~三陸海岸・フクシマの私的被災地紀行~
2011年3月11日に発生した東日本大震災は、揺れの激しさや被災範囲の広さが桁違いだっただけでなく、「地震」「津波」「放射能」という三つの要素を持つ、人類にとって初めて経験する災害だった。マグニチュード9・0、最大震度7を記録した地震は、激しい揺れによる家屋等の倒壊や液状化、地盤沈下などを引き起こし、最大波高が10m以上を記録した津波は岩手・宮城・福島の3県を中心に甚大な被害をもたらした。そして福島第一原子力発電所の事故による放射能汚染は、10年という年月が経とうとする今でも“アンダーコントロール”どころか、収束が見えない状況にある。震災後、定期的に被災地を訪れている一人のライターが見た三陸海岸とフクシマの現実とは──。

編集子のつぶやき「届く」震災報道とは何か?
何気なく、カレンダーを眺めていた時だった。ふと考えが閃いた。
「3月の1回目の発行日は…8日か。8日? 3・11が近いな」
「そういえば、今年は東日本大震災から丸10年となる節目の年じゃなかったっけ」
「この新聞は元々(被災地の)仙台が発祥だから、何か紙面でやってみるか…」
そう心の中でつぶやいてはみたものの、私の心は重かった。企画を実現すべく動かなければ…と頭で肯定している自分と、やっぱりやめようかという否定的なもう一人の自分がせめぎ合っていた。

東京ガラス外装クリーニング協会の緊急アンケート結果を詳報
 東日本大震災は、宮城県仙台市で誕生した「ビル新聞」にとっても大きな衝撃となった。前年8月には、創業者の大林しげる(本名・良二)が死去。悲しみも束の間、当時、仙台市青葉区にあった東北本社も被災したが、幸いなことに大きな被害は免れた。そのため新聞の発行は震災後も続けることができ、関連業界団体の動きを迅速に報道した。当時の紙面からは、10年の時を経て震災後の慌ただしい雰囲気が伝わってくる。

公共工事設計労務単価 警備員は2・1%増
今回は新型コロナウイルス感染症の影響を考慮し、単価が前年度を下回った場合は前年度の単価を採用する特別措置を講じている。併せて20年度に引き続き、必要な法定福利費(社会保険料など)相当額や義務化された有給休暇取得に要する費用を単価に反映させることで上昇基調を維持した。また14年度以降は、労働市場の実勢価格を適切・迅速に反映させるため、通常4月からの改訂を前倒し3月から適用している。