事実と真実は同じではない。メディアは嘘やでっちあげ、はては捏造した文章を事実だと思わせるような記事につくったり、そんな記事を真実だと主張したりすることもありうる。それらは何らかの意図や企みや、謀略や人々の感情操作を狙ったりの“悪意の暴力”である。
 人々はメディアの報道を厳しくチェックして、事実であるか事実でないか、真実なのか嘘なのかを判断しなければならないし、誤って判断して対応したらたいへんな損害を蒙らなければならない。
 情報の氾濫する社会で生活する人間はみな、千仞の谷の一歩手前の断崖上に立たされているようなものだが、このような状況に自分が置かれていることを考えることさえない人であれば、殺人鬼の構える銃口の前面に全くの無防備で立ち竦んでいる標的だといえる。
 このような言い方に対してお前はどんな根拠で危機意識を煽るのかと言われそうな気がしないでもない。というわけで、私たちの生活に重大な影響を与えずにはいない小泉構造内閣の特殊法人改革を例示のつもりで出そうと思う。
 それというのも構造改革は小泉内閣の最大の目玉だし、01年12月には政府決定の整理合理化計画が出て163ある特殊法人・認定法人のうち廃止17、民営化45。38を独立行政法人に改組することになったわけだが、この計画を報道した12月19日付各紙の社説をみると、この問題に関心を持って読んだ読者が、この決定をどのように受けとめたらいいか、どう考えたらいいかを判断できかねる −−− 少なくとも判断してOKを出すか、NOとすべきかに迷わざるをえないような中味だといえる。
 つまり、小泉内閣への例のない高い支持率には、人気・浮気といったような風の吹き回しもあったろうなどと言っても、メディアの構造改革への論調や報道の質や量が与えた影響はかなり大きかったといえないだろうか。
 回りくどい言い方になったが、各社の社説は日経が「特殊法人改革はこれからが本番だ」であり、朝日は「竜頭蛇尾に終わらすな」、共同発は「せかずは事をし損じる」と各社まちまち。“改革”に期待感を昂揚させられていた読者は、水をさされたようなぐあいになった。
 なかでも読売は「聖域なき改革とはこの程度か」で、見知らぬ赤の他人を揶揄(やゆ)しているかのようである。
 こうなると読者はどうみたらよいのかに迷わざるをえない。それというのも、メディアはいままでの報道態度のうえからみても、その論調のプロセスのうえからみても“改革推進派”で、小泉政権の支持率を高める役割を担ってきたかの感があったのだから、今度の発表も、これが当面の改革できるギリギリのところであれば“やらざるをえないだろう”“これだけでもとにかくやってほしい”“やれば、やらざるよりも今のわれわれの生活状態・環境を改善に向かわせてくれるかもしれない”といったような前向きの気持ちになれるのではなかったか、と思う。
 とにもかくにも、ガラスばりの透明な情報報道 ― 判断するのに必要なウラの裏までの真実の情報を報道しないのは意図的であるか作為的なのか、われわれは非常に疑わしくみざるをえない。人権侵害を平気でやらかしたり、まちがっても詫びるなどしない権力的な報道姿勢を改めるための自助的努力がみえてこないだけに、報道の一つ一つにイライラしているのは、現在と未来を憂えるからのことなのだ。


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