怒らずに過ごせたらどんなにか楽しいことだろう、と私は思う。
 遅咲きの、わが家の庭の八重桜が咲き、それが葉桜になった五月初旬の末頃になっても、庭に出て、その樹下に佇って爛漫と咲き誇る彼を仰ぎみる僅かな時間もなかったことに気がついた。
 わが家の朝夕にその日のエネルギー源を摂取する部屋は庭に向かって南面しているのに、私の席から眺める庭は首を強く右に回しても、八重桜のきみは視界に入らない。
 庭前の四メートル幅の道路に沿って植えられた染井吉野は咲いたが、今年は植えて三十年ほどを経て、手入れがよくないためか三本ほどが枯れて花を見せず、私の視野には一本の半身の枝に咲き盛った花を見せてくれた。
 が、続く桜三本ほどは枯木となった老惨を曝す。それを庇うように、やや密生した雑木群れの新緑が映えて目に優しく、かつてはわが家の庭の人手にととのえられた濃緑の古木たちの姿を引き立てている。
 わたしとしてはわずかなゆとりさえもなかったこの春だったことに気がついて、朝食のあと庭に出て、スリッパのまま、まだ枯れ色の残る芝生をふんで八重桜の樹下にたち萎え加減のサクラの花を仰ぎ見た。さらに、冬囲いや支え縄などがいつのまにか取り払われた庭木のあれこれを巡り見て、ふと、屋敷の西端の石庭を見やったら、藤棚の藤が藤色の花の房を重たげに下げ始めているのが見えた。
 それも私にとっては初の発見だったのだ。昨年までは井桁に組まれた藤棚だったのにことしはその大げさな井桁が取り払われて、ぐんと優れた庭師の手になるものか、藤花を際立たせる簡素にしてしっかりした構造の棚に変わって、早くも咲き出た勢いのある藤花の色も溢れさせている
 昨年までもそこに藤棚の花はあったに相違ないのだが、私の和洋一室づくりの、貴賓室と命名した書斎に南面の石庭の藤は、物書きで原稿用紙と格闘する自分の目を引き付けるほどの力がなかったのだと、わたしはあえて、過去の藤棚のせいにした。
 ともあれ、わたしたちを生み出した自然の、測り知れない力に馴れて、軽率にして傲慢な奢りに耽けり、尊ぶべき大自然の法を軽んじ、これに反逆し、人間が生きるためにという偏見を優先させて万物の生命を奪い、唯我独尊の衝動を制御できずに、遂には一国主義の妖怪と化して暴虐無人の兵火を浴びせるという宇宙と人類への大反逆罪を犯した“人でなし”が、新世紀になるやたちまち顕在化した。
 積年の怨みをテロ手段に訴えたモノまた“人でなし”だが“能ある鷹は爪を匿して”戦争ならぬ対談のテーブルに着くべきなのを“人でなし”の戦争をやらかしたのだから始末が悪い。
 20世紀の横着モノ―アドルフ・ヒトラーの枢軸3か国の傍若無人を打ちのめし、敗戦させた連合国が国際連合を結成したのは第一次大戦が生み出した人智の結晶だったはず。
 人類は第一次大戦後、ウィルソン米大統領の主唱で国際連盟を創設したが、主唱者の米国は唱導者の責任を放棄して遂に加盟しなかった。このことは国際連盟が後に崩壊して枢軸3か国の戦乱惹起の重要な要因となったといえる。
 世界は前者の轍を踏むまいとする全智を糾合して第二次大戦後に国際連盟を創設したものの、戦後の20世紀後半は冷戦で化学兵器の開発強化を主軸とした軍備増強時代を経験、一人の指導者の勇気ある勇断で冷戦終結をみた。
 だが、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラン・イラク戦争、中東地域でのイスラエル対パレスチナの紛争、湾岸戦争など無数にして様々な内因・外因を導火線にして誘発された戦争、もしくは戦乱状態が、新世紀の幕開けを待っていたかのように同時テロの挑戦を受けた。
 建国史に初の、象徴的な都市をテロと呼ぶ敵に破壊された米国は、この初体験に激情を抑えきれず、あたかも激昂した幼児のように主要同盟国や平和的解決を望む平和的な世論にも、さらには国連をさえ無視するかのようにして、フセインイラク政権叩きの戦争を始めた。
 日本は小泉首相が渡米して米英両国の戦争支援を表明したが、フランス、ドイツ、ロシア、中国は冷静な対応で終始し、戦争への非同調を表明して国連による解決をすすめるべきだと主張した。
 日本とは重大な相違点を持たない、いわば米・英両国とは同盟国であるはずの有力な諸国が、日本の政府首脳とはいちじるしくちがった対米英姿勢は、日本人である私が見ても、はるかに大人の風格に見え、それぞれの対米英対応が、とても好ましく思われた。
 湾岸戦争をやらかしたブッシュ米大統領の子である現大統領がアフガン戦争で足りなくて、イラク国内へ踏みこんだ戦争をやり、それでも足りなくてイランや北朝鮮へと矛先をちらちらさせて、殺しと破壊の軍事力大消耗戦をしたくて仕様がないのだな、と、平和を希み止まない地球上の人類なら誰でも思わせられている−−−いのちを大切に・大事にする人間…民衆は、私と同じく平和であることを悲願してやまない。
 本稿は久しぶりに自宅の庭越しに眺めた自然の移ろいにペンの熱気を削がれたが、私のような“怒らねば”の士は、或いは講演や座談の席など機会あるごとに、平和希求の声をあげている。或いは―例えば社団法人・日本ペンクラブが01年8月6日に東京はプレスセンターの日本記者クラブの一室で「戦争を考える集い」を催し梅原猛会長、辻井喬・加賀乙彦・井上ひさし副会長、下重暁子常務理事ら、参会した文人たちが「戦争は日本人にとって何であったか」をめぐって自身の体験をまじえた意見表明があった。日本に行動する良識の存在ありとの思いを抱いた人は多かったと思う。
 ペンクラブは同年12月18日にも東京・新宿の紀伊国屋ホールで再度“いま「戦争と平和」を考える”会を開催した―下重暁子常務理事の司会進行で三好徹・井上ひさし・加賀乙彦・瀬戸内寂聴副会長が講演し、梅原会長が閉会のことばという名の講演で“私は保守的な文化人ではなく、戦争反対。書いたものは全部弱者の立場から歴史を考えるのが一貫した方針”とのべ、下重さんは司会進行の際のコメントでイスラム社会で半年間生活の体験を話して戦争と平和を考える会を盛りあげた。


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