テロリスト、またはテロリスト集団は、自らが自爆する者ももちろん、紛れもない殺人者だが、国家や国家的な組織的集団・軍隊などの殺人・殺戮行為は殺人とは呼称しない。それはなぜか---と考えると極めて奇妙なことだと感じる。
 自分が裁判官になったとして、人を殺した者を殺人犯として法に定められた刑罰を行う場合、もし死刑の判決を下したら、人間としての自分が殺人者になってしまうではないか---ということが引っかかる。
 また、軍の上官として、部下に敵に対して鉄砲射撃を命じた場合、それもまた殺人の実行犯になるのが当然だとは思えないか---ということである。
 古来、“盗人・泥棒にも三分の理あり”として情状酌量なる言葉があるのだが、殺人行為は、殺人したという結果について、どんな理由があったとしても、それは紛うかたなき殺人ではないか。
 私の記述は多少脇道にそれたようだが、ライナス・ポーリング博士、ノーマン・カズンズ博士、そしてアインシュタイン博士らが広島・長崎の被爆の悲惨をみて、世界の知性に呼びかけ、反原水爆運動を展開し、さながらわが国の治安維持法が猛威をふるい、猖獗(しょうけつ)を極めたかつての暗黒時代を想起させるような弾圧、中傷、迫害などのマッカーシー旋風の嵐に襲われながらも、その運動を続けられたことに、私は感動し共鳴し、讃嘆限りない。
 カズンズ博士は父母ら保護者を失った被爆児童らを引きとって治療と生活の道を与えるなどの活動を行われた方であり、ポーリング博士は合衆国議会に召喚されて激しい非難を浴びたがそれも断固として撥ね返したという正義の人である。
 日本にも「原水爆を用いる者はサタンである」と宣言して断固たる原水爆禁止宣言をされた方がいる。創価学会の第二代会長である戸田城聖先生がその宣言者であり、いらい平和・文化・教育の三大テーマで広範な社会活動を推進しているSGI(創価学会インターナショナル)の活動を私自身の実践していくべき活動として共感し、共鳴し、歩調を同じくして活動を続けていきたいと念願している。
 正しいことは正しい。正しいと知っても、正しいことをしない者は、正しくないことをしている者でしかない。
 ウクライナ人民共和国はソビエト連邦時代の原爆基地にされていた。冷戦終結後、独立国となり、同時に原爆非保有国となった。中米には軍隊をもたない国もある。
 私は、原子力を平和利用なら用いてもよい、という考え方、やり方には心から賛同できない。日本の使用ズミ核燃料を再利用するためにプルトニウム製造をするという方針にも反対である。プルトニウムは原爆製造に近づく物質にすることだということだから身の毛がよだつほどの脅怖を覚える。
 はなはだ簡略な認識だとしても、放射能を完全に解消することができないならば原子力利用は電力生産などの“平和的利用”であっても停止すべきだと主張したい。
 私は日本社会に“太陽熱で湯を沸かす”方法が商品化されたとき、すぐさまそれをわが家の屋根にとりつけた。いらいわが家の風呂は太陽熱による温水を用いている。
 また、太陽光で電気を発生させる方式ができたとき、これまた、すぐさま屋根上に設置して発生電力を電力会社に売っている―儲らなくて結構。火力や原子力発電の稼動を減少させれたら原子力のリスクや、化石燃料の消費量を減らしただけ、地球温暖化の防止に役立つはずだと考える。
 4500ccの車も廃車して2500ccの車に代えた。燃料消費の削減で地球を守るたたかいに参加するためである。
 ゴミの分別処理には一家をあげて懸命に取り組んでいる。
 これまた、地球で生きている一人として、また新世紀の担い手である若い後継者たちの幸せのための、自分ができる方法の一つとして実行している。
 世界中がアッサリと原水爆を廃棄することだ。廃棄するために科学者の総力を結集して放射能解消など、原子力の無害化と取り組むべきだ。すべての殺人費用・軍事予算を原子無害化とテロ発生要因としての差別や貧富の差、教育の差などの解消に投入するべきだ---そんなのは非現実的だとか妄想だとかと嘲笑する勿れ。
 そのための対話のテーブルにブッシュも小泉ら国家首脳ら、NGOの首脳らに着席してほしい。
 NHKはくだらない放送などやめて対話テーブルの裏表を克明に放送するべし。国民と世界中の民衆が着席者の論述や姿勢を採点して、主権者としての権利を行使できる時代をつくり出す声を、大きくしていこうではないか。


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