この7年間で東北六県に根付いた「東北楽天」
――今年の3月11日で、東日本大震災から丸7年になります。改めて震災当日を振り返っていただけますか。
星野 僕はあの時、(東北楽天の監督として)兵庫県明石市で千葉ロッテとのオープン戦の真っ最中でしたね。ベンチがザワザワ、ザワザワし始めたんです。試合に負けているのに、「お前ら、何やってるんだ、集中しろ!」と言ったら、マネジャーが飛んできて、「東北が大変なんですよ」と。そこで審判に状況を説明し、試合を打ち切りにしてもらいました。まずは選手全員の家族の安否確認からでしたね。しかしあの年は、選手が野球をやる気になるような状態ではありませんでした。ウチの会社も選手もボランティア精神が旺盛なものですから、シーズン中も午前中から小学校、中学校へ慰問に向かい、昼過ぎにグラウンドへ来て、夜は試合。勝てるわけがありません。2年目もまだ、震災の影響は拭い切れませんでしたね。
伊藤 私は東京におりましてね。丸の内の高層ビルが大揺れに揺れて、「これはもう、すぐ盛岡に帰らなくては」と思いました。東北が被災地だとは思わなくて、テレビを見て初めて震源が東北とわかりました。結局、2日間東京に足止めされ、ようやく秋田回りの飛行機で帰りました。会社(㈱盛岡総合ビルメンテナンス)も自宅も(内陸部の)盛岡ですのであまり被害はなかったのですが、沿岸部在住の従業員もいるし、出先の会社もある。その安否を確認して回りました。大変だったのは、給料日が間もなくだったこと。振り込みができず、3カ月ほどかけて一人ひとり、手渡しして歩きました。
星野 慰問に訪れた先々で、津波の生々しい話を聞きました。一昨年も(宮城県)名取で語り部の女性に会いましてね。お聞きすると、ご自分の息子さんも流されている。もう涙も枯れ果てたんでしょう。涙一つ流さず、淡々と「ウチの息子はこういうふうに流されて、お姉ちゃんはたまたま学校にいたから助かった」とおっしゃるんです。そんな話を聞いていたら、こちらも涙が出てきてしまいました。
伊藤 私はあの年、慈善団体のライオンズクラブで東北の委員長をやっていたんです。震災後、本部から30億ほどの資金が提供されましたので、各市町村からの申請を受け付け、実際現地に行って1年半ほどいろいろな活動をしました。岩手のみならず宮城や福島にも行って、各地の惨状を拝見しましたが、福島は原発の事故が加わり、ひと際大変でした。
星野 あれはどうしようもなかったですね。我々も慰問を続ける中、避難所になっている体育館などに伺うと子どもたちはプロ野球選手が来たものだから、大喜びではしゃいでいるんです。その様子を見て、余計悲しくなりましてね。まだ現実を受け止めることのできない年代だったから。この子たちのために何ができるだろうか、俺たちのできることは野球で勝つしかない、勝って癒してあげるしかないんだ!と自分に強く言い聞かせていました。ところが選手はまだ、上の空でねえ……(笑)。(就任)3年目(2013年)に優勝ができたのは、運だけだと思っていますよ。
伊藤 変な言い方で申し訳ないんですが、東北は元々巨人ファンが多い地域だったんです。楽天を〝東北の球団〟としてキチンと認識し始めたのは震災後です。もちろん日本一は大きかったのですが、この7年間で宮城だけでなく東北六県に「東北楽天」が根付いたのは、星野さんをはじめそういった活動の賜物だと思いますよ。
星野 〝おらがチーム〟というんですか、やはりプロ野球はフランチャイズのある地域に密着していかなければならない。各地域の文化や気質も考えながら、チーム作りをしていかなければなりません。〝東北〟という名前をいただいた以上、東北六県にしっかり寄り添ったチーム作りをしていかなければならないのですが、地元出身の選手層の問題など、難しさもありますね。
伊藤 岩手では二軍の試合はあるけれども、一軍は年に1回あるかないかなんです。そこは何とかなりませんでしょうか(笑)。
星野 いやあ正直、あの球場(岩手県営野球場)では無理です。プロの興行をするには設備に問題がありますね。
伊藤 すみません(苦笑)。ただ、今、盛岡市で(収容人員)2万人規模の球場を造ろうという計画が進んでいるんですよ。
星野 いいじゃないですか!(笑)
伊藤 PFI(プライベート・ファイナンス・イニシアティブ=公共施設等の建設、維持管理、運営等を民間の資金、経営能力及び技術的能力を活用して行う新しい手法)で、ウチの会社も参加したグループが計画を立てています。野球だけでなく他のイベントもできるよう、多目的なスタジアムになる予定です。でないと、議会で「年1回のプロ野球のために、ない袖は振れない」ということになってしまうので……。
星野 いや、その議会の考え方は間違っていますよ。プロ野球のためじゃない、地元の子どもたちや若者のために球場を建てるんじゃないんですか。少年から高校、大学、社会人まで使えるんだから。ましてや多目的なら、より幅広く地域の人たちのために活用できる。その中で「プロ野球も呼ぼう」ということですよ。
伊藤 そうですよね。今の球場はおっしゃる通りかなり老朽化が進んでいますし、何とか2年後には新球場の建設を始めたいと思っています。
星野 青森も弘前市運動公園野球場をリニューアルして、昨年ウチが約30年ぶりに公式戦を実施しましてね。青森の人はプロ野球に飢えていたようで、超満員になりましたよ。岩手も是非、超満員にしてください。
伊藤 はい、頑張ります(笑)。
星野 しかしねえ……被災者の方々の心のメンテナンスをキチンとしていかなければ本当の復興にはならないんだろうなと、あの光景を見て感じましたよ。
伊藤 私は自分がいい年齢になってきたこともあるのでしょうが、やはり若い人……子どもたちが希望だなという思いが震災後、特に強くなりました。震災後、希望を持てなくて魂が抜けたようになった60代、70代の人たちが周りに多かったんです。それを見るにつけ、やはり社会全体のパワーをアップさせるためには、若い人たちに次の担い手になってもらわなければ…と思いましたね。それでビルメン協会を通じて育成資金などを出し、若い人たちを応援し援助する事業を、細々ですが始めました。そんなふうに震災以降は、社会全体のことを見るようになってきた気がします。